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2017年度新卒採用 2017年度新卒採用

映画「マトリックス」で変わった進路

子供時代の話と、今の仕事を志したきっかけを教えてください。

まったく夢のない子供だったようです。幼稚園、小学校の頃の将来の夢を書いた文集には「サラリーマン」とありました。同級生が野球選手やサッカー選手というような夢を抱いていた頃に、平凡に生きて、父親と同じサラリーマンになるのではと漠然と思っていたんですね。
高校も大学も特にどこに行きたいという希望はなく、自宅から歩いても通える近さの大学に行けば良いだろうと漠然と思っていました。大学に入るために付属高校に中学から推薦で入れれば、受験勉強せずに大学までいけるかな…とラクすることだけ考えていたと思います。大学は法学部で、法学部に入ったからには司法試験の勉強をしようかということで、1年の夏休みまでは司法試験の勉強をしていました。思い返すとクリエイティブに1mmも関係ない芯のない中高時代でした。

転機となったのは、大学1年の夏休み、映画『マトリックス』の公開です。劇場で『マトリックス』を観て、映像表現の進化に衝撃を受け、ミーハーですが、こんな映像を作ってみたいな…と憧れを抱くようになりました。

早速、映像制作を始めるために、友達が属していた放送研究会というサークルに入り、自主映画のようなもの作ったり、地域の名士が1人で運営しているような小さなケーブルテレビ局で街のイベントなどの撮影、編集、放送などのアルバイトをして、とにかく映像を作っていました。『マトリックス』を観てから、1ヶ月後にはMacintosh G4を購入し、FinalCutなどの編集ソフトを揃えて、映像制作ができる環境を揃えていたと思います。以降は、司法試験の勉強はそっちのけで友達とくだらない映像を作る日々です。『マトリックス』を観てなかったら、そのまま法曹関係の仕事をしていたと思います。

高いビルが無理だった

就活では、コンテンツに係る幅広い業種にエントリーしました。映像制作業界、広告代理店、出版、IT、ゲーム会社など全部で30社ほどにエントリーしました。

自分の資質として、技術を極めるような「職人」的な職種よりも、頭を捻って知恵を出す企画や効率的な作り方を考えるプランニングやプロデュースをする方が向いているかと思い、そういった職種を希望していました。

『マトリックス』のようなVFXを作る仕事に憧れもありましたが、理系でも芸術系でもない自分が同じ土俵に立っても敵わないだろうと感じていたので、文系でも混じれそうな企画系を希望しました。

内定は幸い数社から頂けましたが、東京以外の転勤もある会社(東京から出たくなかった)や、当時は高所恐怖症だったので、高いビルで働くことを想像しただけで足が震えるという信じられない理由で、最終的には、映像制作の現場に幅広く関われそうなイマジカに入社しました。会社の本社ビルが低層だったのが決め手という理由で会社を選ぶ人はなかなかいないですよね。

自分で何とかしないと何も進まない

イマジカに入社してどのようにキャリアがスタートしましたか?

 イマジカは、映像の編集や当時はフィルムコピーが主な事業だったので、自分もその辺りの業務をするものと思っていたのですが、新人研修が終わり、配属となったのは、デジタルコンテンツ領域を開拓していく部門でした。当時イマジカとROBOTが共同で立ち上げた「バディーズ」という会社に出向となり、イマジカに入社してひと月後には、ROBOTの社屋に通っていました。結果的に就活の時に望んでいた企画やプロデュース系の仕事に就くことができました。
 また、制作業界には映画の「組」のような縦割りの人間関係のイメージを持っていたのですが、バディーズは、ROBOTとイマジカから出向で来ていた若いメンバーが個々で新しいコンテンツをデジタル領域で開拓していくことを模索していたので、上下関係も曖昧で、イメージしていた縦割りの構造とは対極の組織でした。反面、誰かの下について何かをじっくり教わることや、先輩の技を現場で盗むというような環境ではなく、自分から何かを考えて、作っていかないと、何も始まらない状況です。何が正しいかもよくわからないので、恥を覚悟で積極的に発言や提案をして、先輩らに迷惑かけつつ、存在価値を作っていくしかないなという覚悟しました。

2006年にイマジカとROBOTが経営統合し、イマジカロボットホールディングスとなりそのバディーズも役割を終えました。

バディーズでの業務が終了した後は、イマジカロボットホールディングスの経営企画の部署に入りました。それまでやっていたクリエイティブの仕事とは全く別の、コーポレートガバナンスの強化などグループの上場へ向けた準備や組織間の調整などこれまでと全く違った仕事で新鮮でした。
その後、バディーズの時代から付き合いのあった方に誘われて、通信会社のコンテンツ系の関連会社に転職しました。当時、通信会社には今で言う利用者の「ビッグデータ」の宝庫で、マーケティングやコンサルティングの目線でクリエイティブを考えてみようかと。というのは、バディーズやROBOTは基本的にはクリエーター発の「プロダクトアウト」の発想でのものづくりが多く、ユーザーを分析するという視点はほぼなかったのです。この会社では、マーケットインの発想で、ユーザーが何を考えて、どういったものがどういう風に求められているのか、その探り方、データの分析方法、プロダクトに反映する視座を得ることができました。

「参謀」からプロデューサーへ

その後、2009年にROBOTに入社しました。

2008-2009年頃にスマートフォンが登場し、いわゆるガラケーのコンテンツサービスモデルに変化が生じ始めて、ネット動画が来るみたいなウェーブもあり、再びものづくりをしたいという欲求が高まりました。そのタイミングで、バディーズ時代の上司でROBOTの社員だった方から、誘いを受けROBOTに戻り、ショートアニメ、動画、デジタルコンテンツのプロデュースのアシストをしていました。 Webサイト、ゲーム、ショートアニメ、実写のドラマ、情報バラエティ…など手掛けるコンテンツの種類も配信先のメディアも多種多様でした。また、人も少なかったので、企画、制作、コーディング、編集、シナリオライティング、ディレクション…不足しているところは自分で補完する状況でした。
 このように手広く仕事をしていると、ときどき「何をやっている人ですか?」「何ができる人ですか?」と質問を受けます。「ゼネラリスト」なキャリアに共通する悩ましい質問です。
 20代まではプロデューサーやクライアントから意見を求められたら、どんな質問にも答えを用意するといういわゆる「参謀」のような役割でした。新しいプロジェクトで足りないことを把握し、情報収集や「新しい技術を使ってこういうことができます」「これはできない」など検証をして、即座に答えられるようにしておくような役割でしたので、アンテナを張って幅広い知識を集めるゼネラリストであることが求められました。誰かの参謀でいる限りは、ゼネラリストであることに悩みを持つことは少ないと思います。
しかし、30歳を過ぎて、自身がプロデューサーで頭に立って、ものづくりやビジネスを成立させていく立場になると、特定の何かに秀でている訳ではないゼネラリストでいることに、迷いや焦りが生じてきます。まさに今、悩んでいて、次のキャリアに葛藤しています。

「参謀」からプロデューサーとなって何か変わりましたか?

 プロデューサーとしては駆け出しですが、日々、自分の至らなさを痛感するばかりです。参謀的な立場で、プロジェクトに対し「何が足りない」「こっちのほうが良い」という判断は下せます。しかし、自分がプロデューサーになると、同じような判断ができません。参謀の頃の知識や判断基準で、自分で1から10まで考えてはいけないのですが、頭では分かっていても、いざ実行するのは難しいです。今は「人に委ねる」「人に意見を仰ぐ」という、基本的な姿勢から見直しを行っています。

プロデューサーとしてどんな仕事をされていますか?

スマートフォンのゲームアプリ、エンタメアプリの企画制作、ショートアニメーション、Web向けの動画など、引続き手広くコンテンツのプロデュースを行っています。参謀の時と違うのは、なるべく自分で手を動かさなくてもプロジェクトが回るように心掛けています。また、幅広い知識や経験を活かし、アプリと動画をワンストップで企画制作するようなプロジェクトを積極的に仕掛けに行っております。

2014年にはオリジナルの企画で『マジックガンナー』というゲームアプリをリリースしました―

バディーズの頃に『ズーキーパー』というカジュアルパズルゲームがリリースされ、未だにヒットしている経緯があったので、今度は自分がプロデューサーとしてスマホゲームの波に乗りたいとやり方を探っていました。市場は既にレッド―オーシャンでしたのでヒット作の焼き直しではなく、ターゲットを絞ったコアなコンテンツを作ることにしました。どうせ作るなら好きなものということで、SFものやリアルでもサバイバルゲームが好きなので、そういう要素を詰め込んだゲームが「マジックガンナー」です。

ゲーム会社であれば、ゲームのプロデューサーやプランナー、ディレクター、その他諸々の人員のアテがあり開発チームを結成すると思うのですが、ROBOTは映像メインの会社で、社内にスマホアプリのノウハウもツテも少なかったので、ほぼゼロベースからの立ち上げでした。開発会社を探し、イラストやデザインの部分は自分でディレクションをし、フリーの方やクラウドソーシングを使って描いてくれる人を探しました。ディレクションとプロデュースは、ほぼ自分で担当することになり、大変なことになりました…リリース直後はありがたいことに想定以上にユーザーさんが付いたのですが、運営やサポートが全く回らず、直ぐに離れてってしまいました。悔しいのでリベンジを虎視眈々と狙っています。

クオリティの上げ方を知っている

ものづくりの現場としてROBOTを選ぶのは?

ビジネスの観点でいえば、コンテンツもマーケットインで、ターゲットを決め、リサーチを綿密に行い、答え合わせをしていくようなモノの作り方の方が堅実だと思います。ただ、そういう作り方が癖になると、突き抜けたものを生み出せなくなっていくと思っています。「生み出せなくなる」状況の中でも、一番ヤバいのは、お金と時間をクオリティに転化できる人がいなくなる状態です。今、日本でハリウッド映画規模の巨額な予算で映画を作れと言われても、クオリティに転化する形で使い切れないでしょう。制作業界は、制作費が安くなり、色んなメディアができて、少ない制作費がさらに分散し、小さな現場が無数にある状態です。そんな状況でも、まだ、大きなプロジェクトで時間と予算をコンテンツのクオリティに転化できそう人たちが集まっているのがROBOTだと思っています。

私自身は、ROBOTの映像クリエーターにどんどんオリジナル作品を作って欲しいので、ゲームやアプリで一山当てて、その資金を稼ぐぞ…というマインドを持ってROBOTで働いています。

「魔法剣士」のようなキャリア

今後はどのようなことに挑戦していきたいですか?

 引続き、デジタルコンテンツと動画コンテンツの橋渡しをするプロデューサー のキャリアを磨きたいと思っています。一方で、この業界は生存競争も激しく、二足目のわらじではないですが、30歳の時に知的財産法を学ぶために大学院に入り、今、弁理士の資格取得を目指して、試験勉強しています。
法律とクリエイティブは、水と油のような存在ですが、一つの頭に同居させられば、この業界には、ほぼ居ないタイプのキャリアを備えた人材になれるんじゃないかと思っています。ニーズは未知数ですが、法律に詳しく、かつ幅広いコンテンツに対しての知識と経験があれば、この業界の多くの人に対しアドバイスができますし、何だったら自分でも作れますよ…みたいな。RPGの魔法剣士みたいに攻守ともに優れた人を目指していきたいと思っています。40歳になるまでにはキャリアとして確立していきたいです。

平凡を極める

キャリアチェンジをしていくことに関して、どういうふうに捉えていますか?

自分のような広くて浅いタイプを、ゼネラリストと呼ばれます。自分は人手が少なく何でも自分でやらなきゃいけない環境や、参謀的な役割を経て、いつの間にかゼネラリストとなったタイプですので、正直、今でも監督やデザイナー、エンジニアなど、一本筋で手に職持ったスペシャリストの人たちは無条件に憧れます。20代の頃は、何度か「スペシャリストになろう」とチャレンジしましたが、無理でした。30歳を過ぎて見切りを付けて、どうせなら、優れたゼネラリストになるべく法律とクリエイティブという両極にある知識を掛けあわせた巻込み型のキャリアをものにしようと決意しました。

 「平凡を極める」という感覚でやっています。自分のチャートグラフがあったとしたら、全ての項目を平均値より少し上を取って、凹みのないようにしていくような生き方です。ただ、一本筋のスペシャリストのようなわかり易さがないので、さっきも述べた「この人、何やっている人」問題が、一生つきまといます。強みが弱みになって器用貧乏にならないよう「こいつに聞けば、何らかの答えが返ってくる」「どんなプロジェクトでも、直ぐに適応する柔軟性」を肝に命じてます。

逆風に抗う覚悟

コンテンツ業界を目指す方に―

スマホひとつで誰でも気軽に映像やアプリを作って発信できるようになり、アマチュアからプロまで玉石混交、コンテンツ業界はカオスです。作品を配信するサービスも飽和状態で、今、世にあるコンテンツだけでも、人が十分に一生楽しめるボリュームは優にあると思います。そんな中で多くの人に観られ、記憶に残る作品が生まれるのは奇跡的な確率だと思っています。殆どのコンテンツは、昨日のランチのごとく、直ぐに忘れ去られてしまうでしょう。

とは言え、ただ、ひたすら作って発信し続けることくらいしか、その確率をあげる方法は無いようです。作るのは楽しいですが、作り「続ける」のはツラいし、厳しいし、面倒くさいことも多いです。正直、この時代、頭の使い方を変えて、より良い給料を貰える会社はたくさんあると思います。
 社長もよく「我々が作っているものは、生活必需品ではないんだ。」という発言をします。天災や景気の影響をダイレクトに受ける不安定な業界でもあります。ありがたがられることは少なく、尖ったことをすれば直ぐにネットで炎上したりもします。

そんな逆風が吹き荒れる制作業界ですが、他の業種に行った同世代と比べれば、圧倒的多く、かつ特異な経験が若い内から積めることは確かです。ちょっとやそっとのことでは動じなくなりますし、自分は仕事でもプライベートでも、自分が思いついたことを学生時代では考えられないほど、大きな規模で実現する実行力を身につけることができました。逆風に敢えてあらがう覚悟をお持ちの方をお待ちしております。

稲川 亮輔  いながわ りょうすけ

2009年、株式会社ロボット入社。
モバイル向けのショートムービー、アプリ、サイトなどのプランニングやプロデュースを担当。

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